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実家の存在

生まれ育った家に対する思いとは?

テレビを見ていたら、生まれ育った実家を解体するという場面でうっすらと涙を浮かべるシーンがあって
なんとなく、実家の写真を見たくなりました。

 

上の写真は私が小学生の頃、多分お正月だったと思いますが家族で家の前で写真をとったという懐かしいものです。

 

昔は、一応正月と言えば、ちゃんとおめでとうございますと言い合って、今年も宜しくお願いしますと家族で

挨拶をしました。その真ん中に父がいて、お年玉をもらったらありがとうございますと頭を下げてお礼を言い、

母の台所の手伝いをして、お重を並べたり、お雑煮を盛りつけたり・・・お正月はやはり嬉しい行事として

家族で過ごしたものです。

 

父が亡くなり、母が亡くなり、実家は処分をして解体されて今は別の家が建っています。

 

私には今や戻る家はありません・・・その淋しさはどう表現していいものやら

 

親の家に子供が住むということが今はあまりなくなって来ましたね。

一生懸命にに建てた家もほぼほぼ一代限りの時代です。

私の実家も例外ではなくこの運命を辿り、今ではその形をなくしました。

 

そこにあったモノたちは、姉妹で分けれるものは分けたりして今もこの家の中は実家にあったモノが

かなり沢山あり悩ましいのですが、その存在は少し私の癒しになっていることも事実です。

 

もっと他にもやり方があったようにも思います。

自分が住むとか、貸すとか、何かに活用するなど・・・

 

今こうして、空き家、空き家予備軍の活用のお手伝いや残されたモノの整理をお手伝いするように

なったことの根底にある思いは、私の実家をちゃんと整理出来なかったということがどこかに

あるように思います。

 

今日は、ちょっと思い出に浸りながらのブログでございました。

 

2018年 11月28日 代表 高橋真美子 記